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きつね

狐

山本 周五郎

「産報」1942(昭和17)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,471 字 · 17 页

青空文庫

三

そこでは妻の美弥が登城の服をとりだしていた。そして、はいって来た良人をみるとしずかに眼で笑いながら、「よいお役目にお当りあそばしましたこと」と云った。夜釣りにいったと聞いて父が不興そうな顔つきをしたので、心配して、そっと襖の蔭で聴いていたのである。

「なにしろもののけだからな」乙次郎は妻の笑っている眼にこたえながらそう云い、しずかに着替えをはじめた。

三

登城した乙次郎は、書院番のしごとを済ませてから本丸やぐらの詰所へいった、そして、みんなの話すことをいろいろと聞いた。

怪異の噂がはじまったのは桜の散りはじめるじぶんからだった、ふだん深更の見まわりに天守へあがらないのを、ある夜、ひとりの番士が登っていってみると、三重で異様なうめきごえを聞き、つづいて階段を誰かしずかにおりてゆく跫音を聞いた。そのときの「みしっ、みしっ」というしずかな、重々しい忍び足のもの音はすさまじかったという。恐怖からきた勇気で階段へとびだしていってみたが、どこにも人の姿はなかった、二重へおり、一重へおりてみると、こんどは上のほうへ登ってゆく跫音がする、やはりひどく落ちついた忍び足で、みしっ、みしっと、きわめてゆっくり登ってゆくのである、その番士は蒼くなって天守をとびだした。