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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

黄昏れかかる仮粧坂を、一般人もぞろぞろなだれ降りて行く。

あとの葛原ヶ岡は、ただ虫の音ばかりに回っていた。――しかしなお、新しい土の盛られた土饅頭の前には、去りがてな男女の影がちらほら残っていた。

彼らはみな庶民だった。死んだ俊基朝臣とは何の縁故もあるのではあるまい。ただ、“あわれ”を感じてのことであろう。――そこらの早い秋草の花を束ねて供えている女もあれば、袂から香苞を取り出して焚いている尼もある。いずれも念仏を口のうちに、無縁ながら“あわれ”と思う一貴人の後生を祈る風であった。

やがて、その人たちも、みな散り去って、土饅頭のまえには、もうたった一人の男しか額ずいていなかった。いやそれと、ゆうべは俊基と高氏とが、酒くみ合っていた軒に映した新月が、こよいは土饅頭の上に見える。

「…………」

名残りは限りがない、さらば永のお別れをと、思い直したかのように、男もほどなく起ちかけていた。その顔を見れば、さっき矢来の内で俊基と最後の面接をゆるされていた刀鍛冶の後藤助光なのだった。

その人の形見の“髪の毛”をふところに、助光は悄然と去って行った。――おそらくはすぐ都へ立ち帰って、俊基の最期のさまを、北ノ方の小右京へつたえるつもりに違いない。