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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

彼も乱痴気な酒席に返って、再びわざと、へべれけな酔いを振舞いながら、本間三郎をはじめ、女や取巻きのすべてが、それぞれの寝所へかたづくのを見届けていた。

それからのこと。――右馬介は一たん下屋へさがって、密かに身軽な装いをととのえ、約束の搦手の濠へ行って、阿新が来るのを待った。……ほどなく、妙宣寺の鐘も聞えてくる。

小降りだが、風はやまず、濠の竹むらは、たえず大波をゆりうごかして、木々のこずえと、吠えあっている。

「はてな?」

右馬介は、不安になった。――来ないのだ。約束の鐘は過ぎたのに、阿新の姿は見えない。

「……やはり子供よ。つい寝込んでしまったものか。……いやいやいくら子供でも、まさかそんなこともあるまい」

落ち合う場所でも、間違えているのではないかと、彼がそこの位置をすこし動きかけたときである。

西曲輪の方で、人々の喚きが起った。風の中を、みだれ飛ぶ松明は、ただ事ではない。大勢の足音や人影の一部は、こっちへも近づいてくる。

「しまった。さては阿新どの、見つかったな」

たちどころに、それは右馬介自身の危急ともなった。ぜひなく、彼は大樹の横枝をつたわって、濠の外へ跳び渡った。