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なおこ

菜穂子

堀 辰雄

楡の家 第一部「物語の女」山本書店、1934(昭和9)年11月<br> 楡の家 第二部「文学界」1941(昭和16)年9月号<br> 菜穂子「中央公論」1941(昭和16)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,758 字 · 173 页

青空文庫

六

二人はそうやって二三時間逢った後、夕方、別々に村へ帰って行くのが常だった。そんな帰りがけに明はよく途中の桑畑の中で、一人の巡査が自転車に乗って来るのに出逢った。それは此の近傍の村々を巡回している、人気のいい、若い巡査だった。明が通り過ぎる時、いつも軽い会釈をして行った。明はこの人の好さそうな若い巡査がいま自分の逢って来たばかりの娘への熱心な求婚者である事をいつしか知るようになった。彼はそれからは一層その若い巡査に特殊な好意らしいものを感じ出していた。

六

或朝、菜穂子は床から起きようとした時、急にはげしく咳き込んで、変な痰が出たと思ったら、それは真赤だった。

菜穂子は慌てずに、それを自分で始末してから、いつものように起きて、誰にも云わないでいた。一日中、外には何んにも変った事が起らなかった。が、その晩、勤めから帰って来ていつものように何事もなさそうにしている夫を見ると、突然その夫を狼狽させたくなって、二人きりになってからそっと朝の喀血のことを打明けた。

「何、それ位なら大した事はないさ。」圭介は口先ではそう云いながら、見るも気の毒なほど顔色を変えていた。