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むし
虫
江戸川 乱歩
一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社、1929(昭和4)年6月1日<br>五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社、1929(昭和4)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,053 字 · 86 页
それが今では、池内光太郎の恋人であろうとも、どうせ彼には出来ない恋なのだから、一目彼女の舞台姿を見て、一寸女々しい気持になるのも、悪くないなと感じたのである。
彼等がK劇場の舞台で、木下芙蓉を見たのは、それから三四日の後であったが、柾木愛造に取っては、誠に幸か不幸か、それは丁度立女形の女優が病気欠勤をして、その持役のサロメを、木下芙蓉が代演している際であった。
二匹の鯛が向き合っている様な形をした、非常に特徴のある大きな目や、鼻の下が人の半分も短くて、その下に、絶えず打震えている、やや上方にまくれ上った、西洋人の様に自在な曲線の唇や、殊にそれが、婉然と微笑んだ時の、忘れ難き魅力に至るまで、その昔の俤をそのまま留めてはいたけれど、十幾年の歳月は、可憐なお下げの小学生を、恐ろしい程豊麗な全き女性に変えてしまったと同時に、その昔の無邪気な天使を、柾木の神様でさえあった聖なる乙女を、いつしか、妖艶比もあらぬ魔女と変じていたのである。
柾木愛造は、輝くばかりの彼女の舞台姿に、最初の程は、恐怖に近い圧迫を感じるばかりであったが、それが驚異となり、憧憬となり、遂に限りなき眷恋と変じて行った。