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むし

虫

江戸川 乱歩

一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社、1929(昭和4)年6月1日<br>五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社、1929(昭和4)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,053 字 · 86 页

青空文庫

間もなく半ば狂せる柾木と、木下芙蓉の死体とが、土蔵の二階でさし向いであった。燭台のたった一本の蝋燭が、赤茶けた光で、そこに恥もなく横わった、花嫁御の冷い裸身を照らし出し、それが、部屋の一方に飾ってある、等身大の木彫りの菩薩像や、青ざめたお能の面と、一種異様の、陰惨な、甘酸っぱい対照を為していた。

たった一時間前まで、心持の上では、千里も遠くにいて、寧ろ怖いものでさえあった、世間並に意地悪で、利口者の人気女優が、今何の抵抗力もなく、赤裸々のむくろを、彼の眼前一尺に曝しているかと思うと、柾木は不思議な感じがした。全く不可能な事柄が、突然夢の様に実現した気持であった。今度は反対に、軽蔑したり、憐んだりするのは、彼の方であった。手を握るはおろか、頬をつついても、抱きしめても、抛り出しても、相手はいつかの晩の様に、彼を笑うことも、嘲ることも出来ないのだ。何たる驚異であろう。幼年時代には彼の神様であり、この半年の間は、物狂おしきあこがれの的であった木下芙蓉が、今や全く彼の占有に帰したのである。

死体は、首に青黒い絞殺のあとがついているのと、皮膚の色がやや青ざめていた外は、生前と何の変りもなかった。