轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

エタにたいするあっぱくのえんかく

被差別部落とは何か

喜田 貞吉

喜田貞吉『被差別部落とは何か』。同一底本的分册已合并为一书。收入:エタに対する圧迫の沿革、特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ、特殊部落の人口増殖、特殊部落の言語、特殊部落と通婚問題、特殊部落と寺院、特殊部落と細民部落・密集部落、沙門と屠児、来り人の地位と職業、遠州地方の足洗、エタと非人と普通人、エタ源流考、「特殊部落研究号」発行の辞、「特殊部落」と云う名称について、『切支丹と旧エタ』について、「エタ」名義考、編輯雑感。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 133,169 字 · 267 页

青空文庫

その以前寛文頃迄は、今の松原通り東洞院の東、稲荷町の地にあったとも言われている。その地は因幡薬師の東で、或いは東寺の散所法師の如く、因幡堂のキヨメすなわち掃除夫であったのかもしれぬ。ところが寛文三年に至り、市内整理の為に右の六条河原に移ったのであったが、さらに正徳二年に、妙法院に於いてこの地が入用とあって、妙法院領七条お土居以南の高瀬川付近に地を点定し、ここに移転せしめたのが後の柳原六条村である。当時給せられた地は七条お土居外、高瀬川と船入との間に於いて、六尺五寸棹で僅かに二千五百六十六坪、ほかに皮張場五百十一坪、合せて三千七十七坪たるに過ぎなかった。しかし当時の簡易生活の彼らの社会では、百八十八軒七百八十九人(正徳五年調べ)に対して、これだけでともかくも間にあったものと見える。

しかしその後間もなく人口増加して狭隘を感じ始めた。すなわち移転の後僅かに十年の享保八年に至って、六条村橋入口、妙法院領三畝三歩の地を居小屋地に願って許された。七条出屋敷三軒町或いは三軒屋村という名が享保頃に見えているのはこれであろう。ついで享保十一年二月に至り、さらに六条村手下大西屋庄左衛門・大和屋喜三郎・住吉屋安兵衛より、旧銭座跡開発のことを思い立ち、天部・川崎・蓮台野等の仲間村にも故障なき旨年寄の連署を得て、東町奉行所公事