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エタにたいするあっぱくのえんかく

被差別部落とは何か

喜田 貞吉

喜田貞吉『被差別部落とは何か』。同一底本的分册已合并为一书。收入:エタに対する圧迫の沿革、特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ、特殊部落の人口増殖、特殊部落の言語、特殊部落と通婚問題、特殊部落と寺院、特殊部落と細民部落・密集部落、沙門と屠児、来り人の地位と職業、遠州地方の足洗、エタと非人と普通人、エタ源流考、「特殊部落研究号」発行の辞、「特殊部落」と云う名称について、『切支丹と旧エタ』について、「エタ」名義考、編輯雑感。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 133,169 字 · 267 页

青空文庫

とある。けだし庄屋の下人も、エタも、あまり区別を付けなかったものと思われる。

しかるにその阿波に於いても、正徳三年からは帳面までも別にせしめる事になった。次いで享保に至っては、江戸でも、京都でも、エタの由緒調査の事が始まった。弾左衛門が始めてその由緒を書上げたのは享保四年である。京都に於いてはこれよりも先二年、町奉行から天部・六条・北小路等の由緒を書き上げしめた。この年に提出した天部の由緒の控えは今も遺っている。「青屋考」中に引用した、京都町奉行扱いの「穢多青屋勤方の事」というのも、この年の制定であった。この頃の大坂城代支配下の地域を書き表わしたと思われる地図に、たとい二戸・三戸の場所までも漏らさず、詳しく皮多村・穢多村を標記しているのも、当路者が彼らに注意を払っていた情況を語るものではあるまいか。享保八年に幕府が非人の斬髪を励行し、冠り物を禁じて、一見町人・百姓と区別の出来る様にしたのも、この頃の方針を見るに足ることと思われる。

かくの如くにしてエタ・非人に対する取締りは、だんだんと表われて来た。享保二年の後二十七年、延享元年に至っては、舞鶴藩の如き地方にも、始めてエタ頭を命じ、彼らの自治に任せる事にもなった。