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ろんごものがたり
論語物語
下村 湖人
「現代」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 132,688 字 · 266 页
「もう思い残すことはない。後は、ただほんの僅かだけ、書斎に仕事が残っているきりじゃ。」
門人たちは、三たび顔を見あわせた。彼等は、孔子の姿が、泰山のいただきから、そのまま天に消えるのではないか、という気さえした。そして、云いあわせたように、立上って孔子に近づいた。
しかし、孔子はもうその時には、彼等の方に向きなおって、いつもの微笑をもらしていた。その微笑の中には、無限の憂いと無限の悦びとが、渾然として溶けあっている。それは、人生の苦悩をとおして、極まりなく魂を磨いた者のみがもつ微笑である。この微笑に接する時、門人たちは、「聖人孔子」と同時に、「人間孔子」を見、「われらの孔子」を見ることが出来るのである。
彼等の気分が急に軽くなった。同時に口も軽くなった。
「先生、おつかれは出ませんか。」
「あの険しい坂をのぼる時の、先生のお足の軽いのには驚きました。」
「山登りだけは先生に負けないつもりでいましたが、今日のご様子では、どうやら、その自信もあやしくなりそうです。」
「先生の百年の齢をお保ちになることも、決してわれわれの希望だけではないことがわかって、たまらなく愉快です。