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まけないおとこ
負けない男
佐々木 邦
「講談倶楽部」大日本雄辯會講談社、1930(昭和5)年1月~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 98,799 字 · 202 页
これが辞令の代りだ。結婚式を明後日に控えている折から、見習が社員に進んで俸給が十円上ったのは好い幸先だった。
「君、見習給にはボーナスがつかないのかい?」
と堀尾君は三輪君に囁いた。
「つかない」
「社員俸給にはつくんだね?」
「つく」
と三輪君はカレーライスを頬張っていて、多くを語らなかった。
その夕刻六時頃、堀尾君はもう帰ろうとしていた時、
「君、君、堀尾君」
と亀田部長に呼びつけられた。
「はあ」
「火事がある」
「何処ですか?」
「芝の神明町だ。盛んに燃えている。直ぐ行って来てくれ給え」
「はあ」
と堀尾君はもう外套を着ていたから、そのまゝ出動した。遊軍は火事だの水道の故障だの野犬狩だのと半端な事件ばかり仰せつかる。
火事は初めて手がける。大抵の事件は初めてだ。堀尾君は肩書つきの名刺の威力に驚いた。火事場の近くを警戒していて、
「通ることならん」
と呶鳴りつけた巡査も、新聞記者と分ったら、
「お役目御苦労」
と敬意を表してくれた。全焼十戸、もう季節に入っていたから珍しくもなかったが、書きようによっては十行乃至二十行は塞げる。堀尾君は社へ戻って、記事に念を入れた。