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いんじゅう

陰獣

江戸川 乱歩

「新青年」博文館、1928(昭和3)年8月増刊~10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 66,968 字 · 131 页

青空文庫

そして、彼女の方では本当の恋でなかったのに、相手は真剣であったからだ。彼女はうるさくつき纒う平田一郎を避けよう避けようとする、そうされればされる程、青年の執着は深くなる。はては、深夜黒い人影が彼女の家の塀外をさまよったり、郵便受に気味の悪い脅迫状が舞込んだりし始めた。十八の娘は彼女の出来心の恐ろしい報いに震え上ってしまった。両親もただならぬ娘の様子に心附いて、胸をいためた。

丁度その時、静子にとっては、寧ろそれが幸であったとも云えるのだが、彼女の一家に大きな不幸が来た。当時経済界の大変動から、彼女の父は弥縫の出来ない多額の借財を残し、商売をたたんで、殆ど夜逃げ同然に、彦根在の一寸した知る辺をたよって、身を隠さねばならぬ羽目となった。この予期せぬ境遇の変化の為に、静子は今少しという所で女学校を中途退学しなければならなかったけれど、一方では、突然の転宅によって、気味の悪い平田一郎の執念から逃れることが出来たので、彼女はホッと胸なでおろす気持だった。

彼女の父親はそれが元で、病の床につき、間もなく死んで行ったが、それから、たった二人になった母親と静子の上に、暫くの間みじめな生活が続いた。