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こくしかんさつじんじけん

黒死館殺人事件

小栗 虫太郎

「新青年」博文館、1934(昭和9)年4月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 296,741 字 · 584 页

青空文庫

やがて、クリヴォフ夫人は法水の前に立つと、杖の先で卓子を叩き、命ずるような強い声音で云った。

「私どもは、して頂きたい事があってまいったのですが」

「と云うと何でしょうか。とにかくお掛け下さい」法水がちょっと躊躇ぎを見せたのは、彼女の命令的な語調ではなかった。遠見でホルバインの、「マーガレット・ワイヤット(ヘンリー八世の伝記者、タマス・ワイヤット卿の妹)の像」に似ていると思われたクリヴォフ夫人の顔が、近づいてみると、まるで種痘痕のような醜い雀斑だったからである。

「実は、テレーズの人形を焚き捨てて頂きたいのです」とクリヴォフ夫人がキッパリ云い切ると、熊城は吃驚して叫んだ。

「なんですと。たかが人形一つを。それは、また何故にです?」

「そりゃ、人形だけなら死物でしょうがね。とにかく、私どもは防衛手段を講ぜねばなりません。つまり、犯人の偶像を破棄して欲しいのです。時に貴方は、レヴェンスチイムの『迷信と刑事法典(註)』――をお読みになったことがございまして?」

「では、ジュゼッペ・アルツォのことを仰言るのですね」それまで法水は、しきりになにやら沈思げな表情をしていたが、はじめて言葉を挾んだ。