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こくしかんさつじんじけん

黒死館殺人事件

小栗 虫太郎

「新青年」博文館、1934(昭和9)年4月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 296,741 字 · 584 页

青空文庫

「法水さん。この事件の悪霊と云うのは、とりもなおさず貴方のことだ。しかし、一言断っておくが、貴方は舌を動かす前に、まず『マリエンバートの哀歌』でも読まれることだな。いいかな、ここに、久遠の女性を求めようとする一人があったとしよう。しかし、その精神の諦観的な美しさには、野心も反抗も憤怒も血気も、いっさいが、堰を切ったように押し流されてしまうのだ。ところが貴方は、それに慚愧と処罰としか描こうとしない。いや、そればかりではないのです。貴方の率いている狩猟の一隊が、今日いまここで、野卑な酷薄な本性を現わしたのだ。しかし射手は確か、獲物は動けず……」

「なるほど、狩猟ですか……。だがレヴェズさん、貴方はこういうミニヨンを御存じでしょうか。――かの山と雲の棧道、騾馬は霧の中に道を求め、窟には年経し竜の族棲む……」と法水が意地悪げな片笑を泛べたとき、入口の扉に、夜風かとも思われる微かな衣摺れがさざめいた。そして、しだいに廊下の彼方へ、薄れ消えてゆく唱声があった。

狩猟の一隊が野営を始めるとき

雲は下り、霧は谷を埋めて

夜と夕闇と一ときに至る

それは、擬うかたないセレナ夫人の声であった。