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やぶからし
やぶからし
山本 周五郎
「週刊朝日増刊」朝日新聞社、1959(昭和34)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,476 字 · 44 页
わたくしは黙っていた。
「いまにその顔で泣くんだ」毒どくしいせせら笑いをして、わたくしの顔を覗きこみながら、あの方は囁いた、「手足を蟹のようにかがめてな、ひっひと泣いて、あとねだりをするんだ、一と晩じゅう……」
なにを云っているのか、わたくしにはわからなかったが、みだらな意味を持っているということは、おぼろげに察しがついた。
「いまにその味をおぼえさせてやる」とあの方は云った、「おれの、この手でな、おれは辛抱づよい人間だ、こう思ったら必ずやりとげてみせる、きっとだぞ」
そしてあの方は出ていった。
わたくしは耳をすまして、あの方が横になるけはいの聞えるまで、同じ身構えで坐っていた。もう大丈夫と思い、懐剣をそこへ置こうとしたが、あまり強く握っていたため、指の関節がすっかり硬ばってしまい、すぐには手をひらくことができなかった。躯にもひや汗をかいていて、肌衣の腋と背中が水に浸したようになり、着替えなければならないくらいであった。
――大丈夫、あの方はもう怖くはない。
わたくしはそう思った。卑しい人ではあるが恐ろしい人ではない、女の前でぐちを云ったり、口だけで強がったり、誓ってみせたりするような人は恐ろしくはない。