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イデオロギーのろんりがく

イデオロギーの論理学

戸坂 潤

「性格」概念の理論的使命「新興科学の旗のもとに 一巻二号」1928(昭和3)年10月<br>「問題」に関する理論「哲学研究 一五七号」1929(昭和4)年2月<br>論理の政治的性格「思想 九〇号」1929(昭和4)年8月<br>科学の歴史的社会的制約「東洋学芸雑誌 四六巻一号」1929(昭和4)年12月<br>科学の大衆性「思想 九六号」1930(昭和5)年

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,463 字 · 229 页

青空文庫

論理を純論理的なるものとしてしか理解しなければ、情意乃至信念は同語反覆的に没論理的であらざるを得ないであろう。処が吾々によれば恰も論理はそのように形式主義的に理解されてはならないのであった。現に人々は判断を一つの信念に帰しているではないか。而も之は無論のこと、判断が論理的でないことを意味するのではなくして、却って信念が信念でありながら同時にそのまま論理内容を構成する動力であることを意味しているであろう。論理内容はこの信念の内に横たわる。信念でありながら――信念でなくなるのでも信念以外の動力に従うのでもない――論理的であることが出来るのである。処でそうであるならば、信念の不可欠の条件と云うことが出来る情意内容も、何故元来そのまま論理的である場合があってはならないか。情意がそれ自身の動力に従って或る時は論理的となり又或る時は没論理的となると考えることが何故不思議なことなのか。もし論理的内容を抽象した情意こそ真の情意であると云うならば、茲にも形式主義の虚偽公式が当て嵌まるというまでであろう。分析は勝手であるがそれをどう総合するかが常に問題である。感情や意欲は、所謂論理的思惟というような純論理的なるものの形式に、偶然外から混入する処の夫から独立な素材ではない。