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イデオロギーのろんりがく
イデオロギーの論理学
戸坂 潤
「性格」概念の理論的使命「新興科学の旗のもとに 一巻二号」1928(昭和3)年10月<br>「問題」に関する理論「哲学研究 一五七号」1929(昭和4)年2月<br>論理の政治的性格「思想 九〇号」1929(昭和4)年8月<br>科学の歴史的社会的制約「東洋学芸雑誌 四六巻一号」1929(昭和4)年12月<br>科学の大衆性「思想 九六号」1930(昭和5)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,463 字 · 229 页
そして今は形態的決定の場合であったから、この依存関係が不可逆的でなければならなかった(第一の点を見よ)。社会的存在は論理のこの連帯性の故に論理形態を決定し得たのである。之が第二の点である。
実際、論理(即ち又真理)とは、例えば論理的整合というような形式性にあるのではなくして存在の内容的連関の内に横たわる処の関係であるであろう。之が所謂存在の論理・客観的論理・内容論理等々の概念に外ならない。論理構成の動機、その動力は、存在の内に横たわる。論理は存在の云わば自己表現であり、それであればこそ人々は論理を通路として存在へ通達し得ると考えるのである*。論理は常に存在への道に過ぎない。理論をしてこの道を歩ましめる動力は無論、その目的である存在の内にあるのであって、論理は却って理論が通過した痕跡に過ぎないであろう。痕跡はただ、後から観想し得るだけである。それ故人々が論理を観想的に取り扱うことによって之を反省する時、初めて論理は自給自足の動力を有った整然たる遊歩道となり、所謂独立化して来るのである。このような独立化は併しやがてかの連帯性の回避を意味する。何となれば論理の動力が存在にあってこそ論理が之を解明する連帯責任を有つのであるのに、反対に存在がもはや論理構成の動力を提供しなくて好いならば、存在は一体論理に対して何を