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いちにんならじ

一人ならじ

山本 周五郎

「富士」大日本雄辯會講談社、1944(昭和19)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,312 字 · 21 页

青空文庫

二

そして二十二歳を迎えた年のことである。ながいあいだ忘れられていた栃木大助の名が、とつぜんまた人々の耳に新しく甦るようなことが起った。永禄四年、武田晴信は越後の上杉輝虎と川中島に決戦を挑んだ、両者の会戦は天文二十四年このかた五度めのもので、将兵をあげてこのたびこそという意気に燃えていた。その出陣祝いのときだったが、みんな杯をあげながらそれぞれ戦場に臨む覚悟を述べあうなかに、栃木大助ひとり妙なことを云った。「きっと兜首をとってみせる」とか、「一番槍の高名はおれだ」とか、「敵の本陣へ斬りこんで討死をする」とか、みんな軒昂たる意気で、生還を期せずと叫んでいるのに、大助だけは「生きぬいてまいりたい……」と云った。それも自分からすすんで云ったのではなく、どうだと問い詰められて仕方なしにそう云ったのである。

「おい聞いたか、大助は生命が惜しいと云うぞ」ひとりがそう叫び、いかにも栃木らしいというので、酔っていた人々は声を合わせて笑った。

二

祝宴のあとで大助は東堂舎人助に呼ばれた。舎人助は馬場信勝の足軽がしらである。いってみるとひどく不機嫌なようすで、しばらく無言のまま睨みつけていた。