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かずえはいそがしい

主計は忙しい

山本 周五郎

「奇譚」1940(昭和15)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,315 字 · 37 页

青空文庫

――主計は部屋へもどるとすぐ、稽古着になって道場へとびだした。そのころ原田道場といえば江戸でも指折りの存在で、内外あわせると三百人あまりの門人を擁し、主計を筆頭に三人の師範代が教えていた。あるじ市郎左衛門はいま病弱のため殆んど教授をしないが、梶派一刀流では遠近に知られた武道家である。彼の師は梶新左衛門といって、小野二郎右衛門忠勝の直系であるが、その小野派一刀流から出て新しく自分で「梶派」を建て、将軍家の手直し番にまで上った人物である。その梶派の二代を継いだのが原田市郎左衛門なのだから、筆頭師範代をつとめる牧野主計もそうありふれた腕でないことは慥かだ。

道場では武田平之助と亘理又十郎が稽古をつけていた。もうひとりの師範代は坐って見ていたが、主計が来ると眼で招いた。杉原兵庫助といって三人のうちではいちばん腕が立ち、教えかたが軟らかいので門人たちに好かれていた。

「あれを見て下さい、武田のを」兵庫助はこう囁いた。

「――またいやなことを始めました」

主計はそっちを見やった。

武田平之助は市郎左衛門の子飼いからの門弟で、ひところは筆頭師範代に擬せられたほどであったが、この一二年酒をおぼえたためか手筋が荒んで暴あらしくなり、どうかすると無法な奇手をあみだして、市郎左衛門の怒りをかうようなことがたびたびだった。