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ふたつのみち

二つの途

豊島 与志雄

「新小説」1920(大正9)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 51,102 字 · 104 页

青空文庫

彼女ははっと息をつめて眼を見張った。

彼はまた云った。

「僕は死にはしない、大丈夫だ。然しもし万一死んだとしたら、お前はどうするつもり?」

彼は唇の片隅に微笑らしい影を浮べて天井に眼をやっていた。それを見て信子は一寸心を落付けた。そして深く溜息をしながら答えた。

「私、またカフェーにでも出ますわ。」

啓介は彼女の方へ顔を向けた。額の氷嚢が滑り落ちたのを彼女が取ろうとすると、彼は頭をずらしながら、その手をつと握りしめた。彼の顔には穏かな光りがさしていた。彼は彼女の顔にやさしい眼を据えた。

「よく云ってくれた。お前はいつも正直だね。大抵の女は、男からこんなことを聞かれると私も死んでしまいますとかなんとか答えるものだ。然し死にはしない。お前は本当のことを云ってくれる。今の僕にはそれが一番嬉しい。」

信子は俄に頬の筋肉を引きつらして、肩を震わした。彼の言葉から或る残酷な傷を心に受けたかのように、そして自ら訳が分らずに、而も否定の意味でではなしに、激しく頭を振った。それから眼を閉じた。きっと寄せた両の眉根に、痛ましい肉の脹らみがぽつりと出来ていた。

啓介は驚いてその顔を見つめた。