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きせつのないまち

季節のない街

山本 周五郎

「朝日新聞 夕刊」1962(昭和37)年4月1日~10月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 201,379 字 · 394 页

青空文庫

と光子は云う、「あの人文科でしょ、文学をやってゆくには貧民階級の生活を経験することが第一なのよ、だってさ、貧民階級のほかに人権問題をぜんめつするみちはないじゃないの、あたしがお茶の水の女学校にいたときは」

光子は自分のかよった学校を、或るときは虎ノ門だと云い、或るときはお茶の水だと云い、また津田英学だと云った。原則的に故郷である伊勢古市の女学校ということになっているが、そのときの都合によって自在にどこへでも変るし、ときには音楽教師とか、語学教師の名まであげてみせた。

虎ノ門女学校が高名だったのは相当に古いことで、さよう、筆者の記憶に誤りがなければ、大正十二年の大震災までであり、その後は渋谷かどこかへ移転し、しぜん虎ノ門なる名称は、女学校に関する限り死語になっていた筈であるし、お茶の水は師範系であって、女学校ではなかったと思うのであるが、そんなことはこの「街」の住人たちにとって、一と摘みの塩の有無ほどの関心をもひかないはなしであった。

そういう女性を一般に虚栄心が強いというが、光子の場合は人にひけらかすというより、自分で自分の造話に酔っているようであった。