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わすれのこりのき

忘れ残りの記

吉川 英治

吉川英治『忘れ残りの記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:忘れ残りの記、年譜。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 页

青空文庫

そこで当然、「この子は、相違なく、貴殿の子息の実子であるから、引取って貰いたい」と、再三書面や仲介人を向けて、談じ込んで来ていたらしい。

けれど、わが子の口数まで減らしている窮乏のどん底へ持って来て、どうして、そんな虚弱な子を引取れよう。何しろ父は病人で懸合いにも立てないので、母一人でただ謝りつづけていた。ところがその日、山田の使いと称する者が、人力車に乗って訪れ、上がり口へ子供を捨てるようにして、さっさと帰ってしまったというのである。

母はまったく途方に暮れた。自分の乳呑み児もある上に、こんなひよわい畸形の子を又抱えては、明日からの手内職の仕事も台所仕事もろくに出来はしないであろう。それも、実子の孫とでもいうのなら、これ又、諦めもつこうが、母にとっては、義理の子の、しかも、ちょっと居ただけの嫁さんとの仲に出来た置き去り子に過ぎないのである。

その晩も、夜どおし、ぴいぴい泣くのをあやしたり、しもの始末などで騒いだが、以後の養育は、並たいていな世話ではなかった。ここに詳述出来ないほど、尾籠な手数がかかり、食餌の苦労やら、日に何度もの着換えの洗濯やら、言語に絶する厄介さと、飢餓の絵その儘なわが屋根の下だった。