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わすれのこりのき

忘れ残りの記

吉川 英治

吉川英治『忘れ残りの記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:忘れ残りの記、年譜。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 页

青空文庫

すると母はこう云った。

「それは、うちがモンキの坂に住んでいた頃なんだろうね。石垣の上に玄関があって、以前、異人の牧師さんが住んでいたから、ふつうの日本家屋なんだけれど、窓なんか洋風に青ペンキが塗ってあったりしたからね」

こう聞くと、錯覚でもないらしい。かぞえ年四ツ頃まで、乳もしゃぶッていたし、小粒でひよわい子だったぼくは、まだ負ンぶされていたらしい。

それにしても、女のひとがきれいであったという事やら、その女の会話があとさきなく、ぽつんと耳に残っているのはどういうものだろう。それの理解が出来なくても、単語として、あるいはただの音として、音感の記憶には残るものなのかどうか。自分では解釈のつけようもないくせに、心のどこかでは、これがさぐりえた自分の最古の神話のように、事実であったと信じていたい気もちが妙に手伝うものであることも否みがたい。

最初の記憶につぐ第二の記憶では、ぼくはもう歩いている。

五ツ前後であろうか。

後に、父の会社で息子を使っていた出入りの大工の家が近くにあった。ぼくは母の膝に戯れながら、母と大工のおかみさんの話をそばで聞いている。

ここの家は子沢山だった。