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わすれのこりのき

忘れ残りの記

吉川 英治

吉川英治『忘れ残りの記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:忘れ残りの記、年譜。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 页

青空文庫

また、この頃から再び江戸文芸にあらためて昵みはじめた。それも、秋成や西鶴などの高踏的なものより、鯉丈の八笑人のような作品の人物に、より多くの親しみを感じていた。

実際に、鯉丈や一九の好モデルになり得そうな人間がまだザラに居た三筋町界隈やら旧東京の下町だった。もう首都としての爛漫から頽廃期に入っていた古いものに、かえって、ぽッと出のぼくは、新鮮と驚異を覚えていたものとみえる。俳句を忘れて、川柳を作りはじめたのも、そして当時、日本新聞の客員であった井上剣花坊氏に、とつぜん来訪されて面喰ったのも、その頃の事だった。それが縁で、休日に当る日には句会へも出た。柳樽寺発行の「新川柳」の同人にも加わったりした。川上三太郎氏の名も同人の中にみえた。だが、三太郎氏は上海にいるとかで、その頃はまだ顔を見せていなかった。

何しろ師弟二人きりの男世帯だ。米を磨ぎ、ヌカミソを掻き廻し、七輪に味噌汁を掛けたりしながら、ぼくはT氏に師事して蒔絵、象嵌下絵などの、習得をうけた。幸い、絵は幼少から好きだったから、のみこみは早かった。T氏と同郷の会津蒔絵師の仲間がよく遊びに来ては、ぼくの使う面相筆のうごきや構図を覗いて「初めてじゃあンめえがのし。