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わすれのこりのき

忘れ残りの記

吉川 英治

吉川英治『忘れ残りの記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:忘れ残りの記、年譜。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 页

青空文庫

母には、腹ちがいの子だが、母はこの兄を後々まで、どれほど、親身になって世話したかしれない。やかましい父へは常によく庇ってやり、ぼく以上にもと、ひがまれた程、可愛がった。また母は、ぼくは子供なので、ひそかに政広を、力ともしたのであろう。

ところで、次の事だけは、母も、ぼくには決して語っていなかった。それは、兄のほんとの母は、誰だったかという疑問である。

前にぼくは、父が二十歳代の頃、遊蕩の果て、小田原に居られなくなって、長野県庁へ転勤を命ぜられ、その期間に、かつて父と小田原で問題を起した美しい留守の内縁の妻が、痴情が原因で男に殺されたという事をちょっと書いた。――で、これはぼくの想像にすぎないのだが、ぼくは、その孤閨にあった美しい婦人こそ、兄の母だったのではないかという気がしてならないのである。

もちろん、その婦人については、父も触れるのを好まなかったろうし、母も子のぼくに聞かせもしない。けれどやや理解力や嗅覚に長けて来ると、自然ぼくの疑問にもなっていた。その後、小田原へも母と遊びに行ったし、特に父と兄との、もつれ方だの、父の放つ激語の端などで、だんだん察しられていたのである。