轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
昭和十七年聖ルカ病院にはいり、アディスン氏病と診察、これは顔色が黒ずみ、たすからない病気なのだ。冬の初め私は堀辰雄と二人で、築地の病院に彼をたずねたが元気で煙草を喫み、例の快笑は病室にひびいていたくらいである。ともあれ一度退院して鎌倉の山の下で療養するつもりだといい、少しも、たすからない病気のことは苦にしていなかった。必らず治るというつなぎで彼は生きていた。
嘗つて中野療養所に立原道造を見舞った一人の、あの時津村は立原はもう起きられまいと言った一人が、絶対に治らないアディスン氏病に取り付かれて、片手に死をにぎっていなければならなかったのだ。
この築地界隈は下町うまれの堀辰雄には、どこにも見覚えのある町景色であるらしく、堀に連れられ銀座まで歩くことになった。二人ともたすからない津村信夫の話はしないで、現にたすかって歩いている二人で、生きのよい肩をそびやかしていた。街角の西洋料理店にのぼり、そこの卓上電灯が余りに古風で美しいので、おちついて名物のビフテキを堀が食べ、私は酒を飲んだ。
「次々に死ぬが、こんどは年からいうと僕の順番だ。」
と私は言ったが、堀は笑って戯談にしてしまい、私もそれをやはり戯談としてまぜっ返していた。