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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
私の中にいる永年の小説のむしは寄ってたかって、他人の小説の骨まで舐って批評してくれるからであった。百田宗治は私にはコワイ人でなく、愛し敬まい戯談をかっ飛ばすことで、したしみを増していた。
「君は一たい、どういう女が好きなの、どれにも難くせをつけるじゃないか。」
私の度たびの質問には、彼の流儀では手ぎわ好くこの難問を切り抜けていた。
「それは簡単な問題ではないよ、君はすぐ決定してしまうがね。」
百田宗治は大ていの場合、御家人風な和服を着て、襟もと帯のぐあいもきちんとし、会場などではつねに誰とでも一応は機嫌好く、人見知りをしないで話していた。いつも批評家の立場にあるような彼は、原稿を書くとなかなか柔しくなれない人だが、つきあいには愉しい真実を見せていた。『椎の木』という詩の雑誌を出していた大正十五年終りには、伊藤整、丸山薫、三好達治、北川冬彦、金子光晴、春山行夫、乾直恵、小村定吉等が綺羅星のごとく執筆していたし、後の詩壇をふんづかまえたこの若いサムライ達は、竹刀袋こそは提げていないが、百田の若い周囲であり背景であった。これほど沢山のえらい詩人をまわりに持った人は、別の意味で福士幸次郎に次ぐ者は百田宗治であったろう。