轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

わがあいするしじんのでんき

我が愛する詩人の伝記

室生 犀星

北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页

青空文庫

それに、しをりさんは百田の年上だったし、その愛情の生活も固まりすぎていたから、それも解きほぐしたかったらしかった。

だから二人連れ立って田端の私の家にくるのが、肩の凝りをおとす意味で、百田夫妻の愛欲の凝りもおとしていたようなものだ。私はりょうらんたる花札の絵模様に頭を掻き乱されていて、また、同時に小説の中でも濫作のただれが救えなくて、もだえていたからだ、けれどもいつも金は賭けていなかったし、せいぜい三年も続けて打つと私はへとへとになった。何故、そんな二年間も永いあいだ花札が続いたのか、やはり小説を書いて世に出たということが、妙にぴかぴかした花札を切ることで愉快にならせたのかも知れぬ。その頃、宇野浩二が見え、滝井孝作が来て手合せを一度やったが、この二人の長脇差はとても私なぞ及ばないその道の、強引な打手であった。こんなうまい花を引くということは小説家としての彼等の上達も、うかがわなければならぬ慎重さで、私は手固さ一方で立ち対ったが、滝井孝作の深淵よどみを見せざる引手には、舌をまいたくらいだ。

百田の前夫人は柔しい人であり、着物の好みも百田にまで及んでいて、百田が愛するよりも愛されているという側の見方が、されているようであったが、最初はどうかは知らぬが、やはり百田が堂々と愛していたように思われた。