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わがあいするしじんのでんき

我が愛する詩人の伝記

室生 犀星

北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页

青空文庫

娘はそれから二ヵ月寝込み、その間に百田の病勢は悪くなる一方であった。どうかすると精神的にあやふやな一日もあり、また確かりしている日もあるらしかった。秋も深くなり誰々が見舞うたが、もう、だめだという消息を聞いているうちに昭和三十年も十二月にはいった十二日に、死去の電報をうけ取った。娘の盲腸炎は手術しないで抑えたが、恢復して外出が出来るようになったものの、八時間のがたがた列車に乗る冒険は、こんどは控えさせ、私は勿論出かけられなかった。電報の報せを机の上の原稿紙の下に敷いて、一日私は為すこともなくあやふやに送り、あとに残っている奴はおれくらいかと、いつもおなじ浅ましい感慨にふけった。

百田に「嬰児」という詩があった。――(私は、大阪の、みすぼらしい小商人の家の末つ児に生れた。上るとキイキイ音のする古い梯子段の下で、私はいつも固い木箱に入れられたまゝで育つた。(中略)然しやつぱり私は泣き出した、一生懸命に身をもがいて、窮屈な木箱から外に出ようと、私はそればかりにかゝつてゐた。)と、書いている。何の動機でこういう詩を書いたか判らないが、彼の死後、この詩を読むと、死とともに漸く六十年の後につながりを見せていて、こんな詩も書いてあって好いとも思われ、また、書かなくともよかったようにも思われた。