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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
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大正五年江口章子さんを知り、白秋はこのひととまた同棲した。江戸川べり真間の里から後に葛飾に移居した。ここで雀に米をまいてやり、雀のことを詳しく書いて例の散文随筆集『雀の生活』を刊行したが、谷崎潤一郎はこの詩人の宿を訪れ、後に小説「詩人の別れ」一篇を草した。
大正六年駒込動坂に白秋は居を移し、私は田端にいたので、もっとも親しい往来をしたのもこの時分だった。章子さんは白秋の用向きで度たび訪ねられ、私は当時二十八歳くらいで処女詩集『愛の詩集』の自費出版を思い立ち、白秋に長文の序文を書いて貰った。この動坂の生活は白秋にも苦しいものだったらしく、私への序文はそれを原稿紙に書き直して読売新聞の文芸欄に、例のばあやさんが持って行き、それを原稿料に換えるという始末であった。
原稿には異常な苦衷が施されるほどで、その十何枚かある原稿には十日間くらいかかっていた。間もなく動坂から去って小田原の生活にはいり、八年間そこで暮らした。大正七年鈴木三重吉の雑誌『赤い鳥』に関係して、ようやく奇才縦横の童謡が次から次とうまれた。日本の童謡を根こそぎ叩き通したかれの煥発才気は、みるまに後代の子供達にたくさんのおみやげを作った。