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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
貧乏している間に仕事の出来る人は、仕事に栄えがあった。どこかでかちっと光り、どこかの奥で声をひそめて少時立ち停っている光景があるものであった。そこですら、千家元麿は苦笑しながら散歩していたのである。
第二次世界大戦で長男宏が、ビルマの戦野で死んだ。例の三編の詩にうたわれた子供とは、この長男宏であったのであろう。その翌々年に夫人千代子が疎開先の埼玉県入間村で亡くなり、千家は一人になったのだ。千代子夫人は千家を扶けてこれを愛し、詩のほかに何も仕事をしない詩人の命を守った。その後、千家は豊島区長崎に移って戦時中の苦労は他人よりも、もっと苦しめられ、終戦後の昭和二十三年三月十四日に、六十一歳で詩をかく外に画をかき、孤寂の生涯を終ったのである。
島根県大社町の千家代々の墓所におさめられたが、送葬の日はさびしく私も胃潰瘍を病んで参列出来なかった。そのさびしさを或る日の客はああいう立派な葬いらしい葬いを見たことがないと言った。『燦花詩集』中の「三月」というのに、千代子夫人の死を悼んだ断片がある。録して千家の心を倶に汲みたい。
ビルマで長男が戦死して此の世を悲しんで