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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
「今日は新聞記者のようなことをお聞きして、たいへんご迷惑をおかけしました。」
「いいえ、なにもお話し出来ませんで、……」
「どうかお達者で。」
「はい、ありがとうございます。」
北原白秋の晩年を書くことをわすれたが、視力が減退、糖尿病及び腎炎に発する眼底出血で、駿河台の杏雲堂に入院、私も見舞に行ったが、廊下にテエブルが出ていてそこで見舞客の記帳が行われるほど、にぎやかな病院生活であった。視力はよくはならずにうすぼんやりと見える世界に白秋は住むようになり、黒い眼鏡をかけていた。永年の豪酒と仕事の山積が禍いしたと見るより外はなかった。つづめて言えば病苦で晩年は不倖な薄明生活であったともいえよう。
白秋は短冊色紙をかくときにも、奥さんがそばにいるとよく書けるという、私なぞと正反対であったが、すべて薄暗いことは嫌いで、派手であかるいことがひどく好きだった。その人が視力を失いかけていたということは、たいへん不倖なことである。しかも白秋以後白秋なく、才華の点でも、三つの転換期を持っていた。短歌に転換し童謡に転身した彼は、その先きざきでほとんど不世出のはればれしさを、抱えきれないくらい抱えこんだ詩人であった。