轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

わがあいするしじんのでんき

我が愛する詩人の伝記

室生 犀星

北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页

青空文庫

木剣を木綿袋に入れて通う辰雄は、ひとなみの剣舞師の習得で少しも躊躇わないで、袴の股立ちを取って剣の舞いを演じていた。

大正十二年五月、私は当時田端の高台に住んでいた。或日お隣の奥さんが見え、わたし共の主人の府立第三中学校出身に堀辰雄という生徒がいるが、いちど紹介してくれと言われていますので、会っていただけるかどうかというお話であった。私は何時でもと答えた。お隣は広瀬雄校長であり第三中学に芥川龍之介も在学していたことがあり、堀は当時二十歳だった。

或日お母さんに伴われて来た堀辰雄は、さつま絣に袴をはき一高の制帽をかむっていた。よい育ちの息子の顔付に無口の品格を持ったこの青年は、帰るまで何の質問もしなかった。お母さんはふっくりした余裕のある顔付で、余り話ができない人のようだった。これが私の堀のお母さんに会った初めであり、そして終りであった。大正十二年の震災でこのお母さんは、隅田川に火に趁われて水死された。

お母さんは堀がいまに本を書く人になることを考えて、或る製本屋に近づきがあったので態々菓子折を提げ、うちの子の本が出るようになったら、どうかよい本に製ってやって下さいと、挨拶にゆかれたそうである。