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おうぎの

扇野

山本 周五郎

「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,727 字 · 67 页

青空文庫

「暗うございますけれど、こちらからまいりましょう」おつるはこう云って横丁へ曲った、「狭い土地ですから、いろいろとうるさいんです」

「座敷におくれると悪いんだろう」

「いいえ、――」とおつるは明るく笑った、「怒ったお客をまるめるぐらい、しょうばいですから手にいったものです」

栄三郎は眉をしかめた。「しょうばい」という言葉が、ふしぎにするどく胸を刺したのである。おつるもそれに気がついたとみえ、彼の眼にみいりながら(いそいで)云った。

「ごめんなさい、もう云いません」

栄三郎は吃驚して見返した。そんなに彼女が敏感だとは思わなかったのである、――彼はおつるの眼に頷きながら唇で笑った。それから二人は黙って歩き続け、四つ辻を表通りへ出たところで別れた。

「また来てくれるね」

別れるとき栄三郎が訊いた。おつるはあの眼で見ながら頬笑んだ。

「お待ちしています」

彼はおつるが駕籠に乗って去るのを見送った。それは彼の乗ったのと同じ駕籠屋で、駕籠舁きも同じ男たちのようであった。

――町尻の新水だな。

駕籠の提灯の明りが、暗い街を南へ遠ざかるのを見送りながら、栄三郎はそう思い、やや暫くそこに立ったままでいた。