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そうわ

挿話

徳田 秋声

「中央公論」1925(大正14)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 26,544 字 · 53 页

青空文庫

お絹は著ものを著かえる前に、棚から弁当を取りだして、昨夜から註文をしておいた、少しばかりの御馳走やおすしを、お箸で詰めかえていた。山遊びの弁当には酒を入れる吸筒もついていて、吼の蒔絵がしてあった。

「今でもこんなものを持ってゆくのかい」道太はその弁当をもの珍らしそうに眺めていた。

「あまりいいものでもないけれど」

「この弁当は」道太は子供のように今一つの弁当を捻くっていた。

「それは演舞場へお稽古に行くときのお弁当や」

「しかし芝居見物もこんなふうにしてゆくとおもしろいね」

「こちらかって、幕のうちもあるし、鰻でも何でもあります。でもこれも楽しみやさかえ」お絹はそう言って、それからこの間どこからか貰ってきた大きな蒸鮑を、母親に切ってもらっていた。老母は錆びた庖丁を砥石にかけて、ごしごしやっていた。

「これおいしいですよ。私大事に取っておいたの」お絹は言っていた。

「その庖丁じゃおぼつかないな」道太はちょっと板前の心得のありそうな老母の手つきを、からかい半分に眺めていた。

「庖丁はさびていても、手が切れるさかえ」老母はそう言って、刃にさわって見ていた。

やがて弁当の支度を母親に任かして、お絹は何かしら黒っぽい地味な単衣に、ごりごりした古風な厚ぼったい帯を締めはじめた。