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いけぶくろのかい

文藝別冊[総特集]岡本綺堂

岡本 綺堂

岡本綺堂『文藝別冊[総特集]岡本綺堂』。同一底本的分册已合并为一书。收入:池袋の怪、お住の霊、河童小僧、明治時代の湯屋、父の怪談、山椒魚、子供役者の死、黄八丈の小袖、勘平の死。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 72,671 字 · 149 页

青空文庫

山椒魚

K君は語る。

早いもので、あの時からもう二十年になる。僕がまだ学生時代で、夏休みの時に木曾の方へ旅行したことがある。八月の初めで、第一日は諏訪に泊まって、あくる日は塩尻から歩き出した。中央線は無論に開通していない時分だから、つめ襟の夏服に脚絆、草鞋、鍔の広い麦藁帽をかぶって、肩に雑嚢をかけて、木の枝を折ったステッキを持って、むかしの木曾街道をぶらぶらとたどって行くと、暑さにあたったのかどうも気分がよくない。用意の宝丹などを取り出してふくんでみたが、そのくらいのことでは凌げそうもない。なんだか頭がふらふらして眩暈がするように思われるので、ひどく勇気が沮喪してしまって、まだ日が高いのに途中の小さい駅に泊まることにして、駅の入口の古い旅籠屋にころげ込んで、ここで草鞋をぬいでしまった。すると、ここに妙な事件が出来したのさ。

汽車がまだ開通しない時代で、往来の旅人はあまり多くないとみえて、ここらの駅は随分さびれていた。殊に僕が草鞋をぬいだこの駅というのは、むかしからの間の駅で、一体が繁昌しない土地であったらしい。僕の泊まった旅籠屋はかなりに大きい家造りではあったが、いかにも煤ぼけた薄暗い家で、木曾の気分を味わうには最も適当な宿だと思われた。