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ファルスについて
日本文化私観 坂口安吾エッセイ選
坂口安吾『日本文化私観 坂口安吾エッセイ選』。同一底本的分册已合并为一书。收入:FARCE に就て、神童でなかったラムボオの詩、花田清輝論、スタンダアルの文体、大阪の反逆。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,974 字 · 47 页
なしに単なる描写音楽を、例えば「西風の見たところ」、「雨の庭」と言った類いの作品を、多く残していることに就て、時代の人を盲目とする蛮力に驚きを深くせざるを得ない。そして現今、洋の東西を問わず、凡そ近代と呼ばれる音楽の多くは、単なる描写音楽の愚を敢てしている。斯様に低調な精神から生れた作品は、リュリ、クウプラン、ラモオ、バッハ等の古典には嘗て見られぬところであった。単なる写実は芸術とは成り難いものである。
言葉には言葉の、音には音の、色には又色の、もっと純粋な領域がある筈である。
一般に、私達の日常に於ては、言葉は専ら「代用」の具に供されている。例えば、私達が風景に就て会話を交す、と、本来は話題の風景を事実に当って相手のお目に掛けるのが最も分りいいのだが、その便利が無いために、私達は言葉を藉りて説明する。この場合、言葉を代用して説明するよりは、一葉の写真を示すに如かず、写真に頼るよりは、目のあたり実景を示すに越したことはない。
斯様に、代用の具としての言葉、即ち、単なる写実、説明としての言葉は、文学とは称し難い。なぜなら、写実よりは実物の方が本物だからである。