轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しゅんせつのでわじのみっか
春雪の出羽路の三日
喜田 貞吉
「社会史研究 第九巻第六号」1923(大正12)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,521 字 · 33 页
安倍氏を討じた陸奥守源頼義、その子義家は、上方にあっては驍勇をもって聞こえた武士の棟梁であったが、容易に安倍貞任を征服することが出来なかった。かくて前後十二年を費して、最後にこの仙北俘囚長たる清原氏の援助を乞い、ようやくこれを滅ぼすことが出来たのである。この時頼義が、いかに辞を卑うし礼を厚うして清原氏を誘ったかは、後に清原氏の方で頼義を見ること、家人のごとく心得ていたのによっても解せられる。かくて清原光頼・武則の兄弟は、一族吉彦秀武らとともに一万余騎の兵を率いてこれに応じ、ついによく安倍氏を滅ぼすことが出来た。武則功をもって鎮守府将軍に任ぜられ、胆沢に移って威を奥州に振い、かねてこの仙北を領していたので、その勢力は遙かに安倍氏に増していたに相違ない。これとうてい後三年の役の起らざるを得ざるゆえんであった。武則は実に夷人にして、始めて鎮守府将軍に任ぜられたのだ。一族秀武の姓の吉彦はすなわち吉弥侯で、これまた俘囚に普通に見る氏である。後三年の役の末金沢落城のさいに当って、義家は清原氏を罵って、武則賤しき夷の名をもって、忝くも鎮守府将軍に任ぜられたのは、これわが父の推挙によるものだと言っている。