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つきのまつやま

月の松山

山本 周五郎

「キング」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年8月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,451 字 · 41 页

青空文庫

と泰二郎は云った、「乱暴するつもりじゃあなかったんです」

「酔ってるんだ」

「済みません」泰二郎はおろおろした、「ついかっとなってしまって、――どこか痛めたんですか」

「少し酔ってるんだ」孝也はようやく立ちあがった、「もういい、大丈夫だ」

そして顔をそむけて歩きだした。右足をひきずるような、ひどく不安定な歩きぶりであった。

「宗城さん」泰二郎が呼びかけた。

「明日にしよう」

孝也は自分の住居のほうへ去った。泰二郎はそれを見送りながら、表現しようのない混乱した感情にとらえられた。暗い杉林の中のあまやかな香料の匂いと、桂の火のような喘ぎとが、あまりに脆く倒れた孝也の姿と重なりあったり、はなればなれになったりして、彼の想いをかき乱すようであった。

「明日にしよう」と泰二郎は呟いた、「そうだ、明日になればなにかわかるかもしれない」

しかし翌日になっても、孝也の態度に変りはなかった。

ただ一つだけ気がついたのは、孝也の動作にどこかしら力がなく、注意して見ると右足を少しひきずって歩くことである。また、もう四月中旬だというのに、いつも足袋をはいていた。道場へ出てもぬがないし、稽古袴を裾さがりにはいて、殆んど足首まで隠すようにしていた。