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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

「確かに奇蹟が行われたのですよ。主が特別の恩恵を垂れ給うたのですよ」

長い髯の男は手にしていた古い革表紙の手擦れた聖書を振って言った。

その時、捨吉はこの人達の話で、洗礼を受けようとする一人の未信者の娘のあることを知った。その受洗の儀式が会堂の方にあることをも知った。

会堂の石垣に近く、水菓子屋の前の方から話し話し遣って来る二三の婦人の連があった。その中に捨吉は浅見先生の奥さんを見かけた。懐しそうにして彼は奥さんの方へ走り寄った。

「ちっとも御見えに成りませんね。岸本さんはどうなすったろうッて、御噂してますよ」

相変らず無邪気な、人の好さそうな調子で、奥さんは捨吉に言った。

会堂の内には次第に人々が集りつつあった。左右の入口から別れて入って来る男女の信者達はそこに置並べてある長い腰掛を択んで思い思いに着席した。捨吉と同じ学校の生徒でここへ来て教を聞こうとするものは可成ある。晴やかな顔付で連立って来て、ずっと前の方に着席するものも有る。説教壇の前のところに一人特別に腰掛けたはその日受洗する娘と知れた。

執事が赤い小形の讃美歌集を彼方是方と配って歩いた。