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つちのなかからのはなし

桜の森の満開の下

坂口 安吾

坂口安吾『桜の森の満開の下』。同一底本的分册已合并为一书。收入:土の中からの話、家康、閑山、禅僧、小さな部屋、道鏡。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 76,558 字 · 153 页

青空文庫

苦悶のために表情は歪み、足は竦んで動けなかった。ヒイヒイという掠れた悲鳴が喉にうなった。これだけの物々しい前奏曲があったために、お綱もつい突き落す気持になったのである。それ程の力をいれて突いたわけでもなかったのに、坊主はあっけなく古沼へ落ちた。水の中での死にもの狂いの騒ぎといったらなかったのである。死を怖れる最も大きな苦悶と醜体がかたどられていた。坊主のもがいていた場所は岸から三尺ばかりのところで、落付いて腕をのばせば子供でも溺れる心配のない場所である。彼が恐らく全身のエネルギーを使いきった証拠には、漸く岸へ這いあがると、這いあがったなりの腹這いの恰好のまま、だらしなくのびてしまって這いずることもできなかった。それを見ると、お綱の眼の光が全く変った。真剣なものが全身にみなぎり、亢奮のために胸がふくれ、急に顔に紅味がさした。お綱は猿臂をのばして禅僧の襟首をとらえ、ずるずるとひきずって今度は真剣に古沼の中へ頭の方から押し込んでしまおうとしたのである。禅僧はギャッという悲鳴をあげてお綱の片足にかじりついた。お綱よ、命だけは助けてくれ! 死ぬのは怖い! 禅僧の声は遠雷のように喉の奥でゴロゴロ鳴り、くいついた蠑螺のようにお綱の脛にぶらさがって恐怖のあまり泣きだしていた。