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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

新八は部屋の中を眺めていた。女の無恥で露骨な饒舌を、うしろに聞きながら、その狭くて暗い部屋の中を、放心したような眼つきで、ぼんやりと眺めていた。そこは風呂屋の二階にある長四帖で、家具らしい物は殆んどなく、一方は障子の入口、一方は押入、左右は板壁になっている。初めてそこへはいったときは、牢屋のようだと思った。

風呂屋に遊女を置くことは、十五年ほどまえに禁じられたが、実際は隠し売女になっただけで、どこの風呂屋にも客の背中をながしたり、茶を汲んだりする女たちがいて、それらがみな客を取るのであった。その風呂屋は、道場からさして遠くない相生町にあり、新八は九月下旬から、もう五たびもかよって来ていた。

石川兵庫介たちといっしょに、明神下の道場へ移ったのは八月で、彼は道場の雑用をするかたわら、兵庫介から柔術、野中又五郎から刀法を教えられた。どちらも稽古はそれほど激しくはなかったし、他の人たち、砂山忠之進、尾田内記、藤沢内蔵助、みな彼にはしんせつだった。島田市蔵だけは、うさん臭そうな眼で見る。口ではなにも云わないし、かくべつ辛く当るわけでもないが、どことなく疑わしそうな、さぐるような眼で彼を見るし、あまり口もきこうとはしなかった。