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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

「着替えをたのむ」と甲斐は起きあがった。

おくみは甲斐に抱きつき、そっと抱きしめたが、すぐにはなれて、自分の衿褄をつくろいながら、立ちあがった。

茂庭周防は裏の小座敷にいた。――外はもう明るんでいるであろう、雨戸が閉っているので、その小座敷は暗く、雪洞の光を横からうけて、周防の顔は片かげりに尖ってみえた。

甲斐は生麻の帷子の着ながしに、脇差だけ持って出て来た。

「急の出府だな」

「昨日の暮れまえに着いた」と周防が云った、「此処へ来るのは危険だと思ったが、もらった手紙について、涌谷さまの伝言があるから押して来たのだ」

「聞かせてもらおう」

「そのまえにきくが」と周防は甲斐を見た、「手紙に書いて来たことには、根拠があるのか」

「根拠はない」

「そこもとの想像か」

甲斐はそうだとうなずいた、「酒井侯のようすで判断したのだ、侯の私に対する態度が、あまりに辛辣で執拗すぎる、なんのためかよく考えてみた」

雅楽頭ほどの人物が、兵部宗勝などを近づけ、兵部の子に自分の養女をめあわせ、一万石の直参大名にしたのはなぜか。さらにさかのぼって、陸奥守綱宗を、ほとんどこじつけに等しい理由で譴責し、これに逼塞を命じたのはなぜか。