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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

――正季どのより、加賀田のお師のお智恵を、おつたえしておいたが、ついにお採り上げにはならず、雨も降らずでは」

「なにを、おまえらが」

老人はすぐむきになった。そのむきになるのを郷武者の若いのが、いつもおもしろがって、からかうものとは知らず、

「神事を行うに、など兵法を用いんやじゃ。お屋形(正成)のまっ直なお心をうかがって、この爺などはおそれ入った。いまに見い、神の感応あって、かならず大雨を見ようわえ」

「あはははは」

若い顔が、みな笑った。

「今に――とな」

「なるほど」

「それや、降るに極ッている」

老人の方は見向きもしない。もう馬をせかせか追っていた。――龍泉寺の大屋根がほどなく見えた。それに隣して、檜林に深く沈んでいる方の屋根が“龍泉殿”正季の屋敷である。

「おいでかな?」

呟きながら馬をつないだ。門前を通れば、常に、あいさつだけでもして行くのがこの老人の律義であったようだ。その訪れを見て玄関の小侍は、

「おお、御家老ですか。殿は、お物蔵のほうにおられますが」

と西側の、木立の奥を指さした。

彼はすぐそっちへ歩いた。

土倉と土倉との間を、橘ノ紋を打った幕が張り繞らされている。