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なおこ
菜穂子
堀 辰雄
楡の家 第一部「物語の女」山本書店、1934(昭和9)年11月<br> 楡の家 第二部「文学界」1941(昭和16)年9月号<br> 菜穂子「中央公論」1941(昭和16)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,758 字 · 173 页
あの白い毛の外套に身を包んで空を見ながら歩き過ぎたその人も、――殊にその空を見入っていたようなあのときの眼ざしが、いまだにそれを思い浮べただけでもそれから彼が目を外らせずにはいられなくなる位、何か痛々しい感じで、はっきりと思い出されるのだった。――昔から菜穂子は何か気に入らない事でもあると、誰の前でも構わずにあんな空虚な眼ざしをしだす習癖のあった事を、彼は或日ふと何かの事から思い出した。
「そうだ、こないだあの人がなんだが不為合せなような気がひょいとしたのは、事によるとあのときのあの人の眼つきのせいだったのかも知れない。」
都築明はそんな事を考え出しながら、暫く製図の手を休めて、事務所の窓から町の屋根だの、その彼方にあるうす曇った空だのを、ぼんやりと眺めていた。そんなとき不意に自分の楽しかった少年時代の事なんぞがよみ返って来たりすると、明はもう為事に身を入れず、どうにもしようがないように、そう云う追憶に自分を任せ切っていた。……
その赫かしい少年の日々は、七つのとき両親を失くした明を引きとって育てて呉れた独身者の叔母の小さな別荘のあった信州のO村と、其処で過した数回の夏休みと、その村の隣人であった三村家の人々、――殊に彼と同じ年の菜穂子とがその中心になっていた。