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むし
虫
江戸川 乱歩
一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社、1929(昭和4)年6月1日<br>五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社、1929(昭和4)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,053 字 · 86 页
彼と彼以外の人間の間に、打破り難い厚い壁のあることが、一層痛切に感じられた。人間憎悪の感情が、吐き気の様にこみ上げて来た。
彼はあらゆる女性の代表者として、木下芙蓉を、此上憎み様がない程憎んだ。だが、何という不思議な心の働きであったか、彼は芙蓉を極度に憎悪しながらも、一方では、少年時代の幼い恋の思出を忘れることが出来なかった。又、成熟した彼女の、目や脣や全身の醸し出す魅力を、思い出すまいとしても思い出した。明かに、彼は猶お木下芙蓉を恋していた。しかもその恋は、あの破綻の日以来、一層その熱度を増したかとさえ思われたのである。今や烈しき恋と、深い憎みとは、一つのものであった。とは云え、若し今後彼が芙蓉と目を見交わす様な場合が起ったならば、彼はいたたまらぬ程の恥と憎悪とを感じるであろう。彼は決して再び彼女と会おうとは思わなかった。そして、それにも拘らず、彼は彼女を熱烈に恋していたのである。あくまでも彼女が所有したかったのである。
それ程の憎悪を抱きながらやがて、彼がこっそりと三等席に隠れて、芙蓉の芝居を見に行き出したというのは、一見誠に変なことではあったが、厭人病者の常として、他人に自分の姿を見られたり、言葉を聞かれたりすることを、極度に恐れる反面には、人の見ていない所や、仮令見ていても、彼の存在が注意を惹か