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エタにたいするあっぱくのえんかく
被差別部落とは何か
喜田 貞吉
喜田貞吉『被差別部落とは何か』。同一底本的分册已合并为一书。收入:エタに対する圧迫の沿革、特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ、特殊部落の人口増殖、特殊部落の言語、特殊部落と通婚問題、特殊部落と寺院、特殊部落と細民部落・密集部落、沙門と屠児、来り人の地位と職業、遠州地方の足洗、エタと非人と普通人、エタ源流考、「特殊部落研究号」発行の辞、「特殊部落」と云う名称について、『切支丹と旧エタ』について、「エタ」名義考、編輯雑感。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 133,169 字 · 267 页
また文政九年十二月には、東寄りの方にも本村に接して出村を設け、天保十四年十一月には、天部領小稲荷の地を年二十一石の年貢で天部村から租借し、建家の承諾を得てここにも発展した。ここに於いてもと僅々八反半ばかりの地所に引移った六条村民は、船入の左右に渉り、高瀬川を越え、北は七条通りの南お土居外から、南は八条通りまでに及び、近時はさらに八条通りを越えて、九条領岩ヶ下にまで溢れ出しているのである。かくて正徳の百八十八軒七百八十九人は、百九十三年後の明治四十年に一千百六十九戸五千三百六十六人を数うるに至り、戸数に於いて六倍七分五厘、人口に於いて六倍九分弱の多数に達した。今日ではおそらく一千三百戸六千人以上に達したと言われているのである。
この中に於いてもとの六条の地のみは、祖先以来の役儀を継承して、所謂役人村として知られ、新たに発展した他の部分は、牢屋外番人足にも徴集されたが、主として工業によって生計を営んでいたのであった。
正徳以来の京都付近十一ヶ村の戸口の増加の割合を見るに、正徳の四百八十六軒二千六十四人が、明治四十年には約二千二百八十二戸一万二千四百五十二人にも達しているので、戸数に於いて四倍七分、人口に於いて六倍強となっているが、この旧六条村の増加は、戸数に於いても口数に於いても、遥かにこれらの平均以上に達し