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のざらし

野ざらし

豊島 与志雄

「中央公論」1923(大正12)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,100 字 · 39 页

青空文庫

「あとで一寸お話したいことがあるから、待ってて頂戴。」

昌作が顔を挙げて、その意味を読み取ろうとすると、彼女は澄ました顔で、さっさとスタンドの向うへ引込んでしまった。その入口の所に、も一人の女中――顔に雀斑のある年増の春子――が、壁に半身を寄せかけて佇みながら、室の中をぼんやり眺めていた。昌作は慌てて眼を外らして、やはり室の中を眺めた。

曇り硝子に漉される電気の先がいやにだだ白くて、白い卓子の並んだ室の中は薄ら寒かった。往来に面した窓際に、若い五六人の一団の客がいた。昌作が見るともなく眼をやると、その中に見覚えのある顔が一つあった。それがしきりにこちらを見てるので、昌作はまた卓子の上に屈み込んで、珈琲とコニャックとをちゃんぽんに嘗めるように啜った。彼等は美術のことを論じ合っていた。何かの展覧会に関することらしかった。然し昌作は別に興味も覚えないで、自分一人の思いに沈み込みながら、途切れ途切れに聞えてくる単語を、上の空に聞き流していた。そのうちに、彼は我知らず耳を欹てた。彼等の声が俄に低くなったのにふと気を引かれて、隠れたる天才だのモデルだの好悪の群像だのという語を、ぼんやり聞いてるうちに、宮原という名前が耳に留ったのである。