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つげびと

野菊の墓

伊藤 左千夫

伊藤左千夫『野菊の墓』。同一底本的分册已合并为一书。收入:告げ人、箸、老獣医。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 34,955 字 · 71 页

青空文庫

細君から手移しに押しつけられて、糟谷はしょうことなしに笑って、しょうことなしに芳輔を抱いた。それですぐまた細君に返した。糟谷はこのあいだにも細君の目をそらして、これら無心の母子をぬすみ見たのである。そうしてさびしいはかない苦痛が、胸にこみあげてくるのである。心臓の動悸が息のつまるほどはげしく、自分で自分の身がささえていられないようになった。糟谷は、

「もう遅いっ」

とおちつかないそぶりをことばにまぎらかして外へでた。外へでるがいなや糟谷は涙をほろほろと落とした。いますこしのところで妻に涙を見られるところであったと、糟谷は心で思った。

糟谷は事務所の入り口で小使を見た。小使はいつもていねいにあいさつするのだが、けさはすぐわきをとおりながらあいさつもせずにいってしまった。糟谷はいやな気持ちがした。事務所へはいってみると、場長はじめ同僚までに一種の目で自分は見られるような気がする。いつもは、

「糟谷さんこうしてください」とか、

「これはこれしておきましょうかね」

とか、うちとけてむぞうさにいうところも、みょうにあらたまって命令的に事務の話をするのである。糟谷はもうおちついて事務がとれない。