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ゆきのうえのしも

雪の上の霜

山本 周五郎

「面白倶楽部」光文社、1952(昭和27)年3月~4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,586 字 · 50 页

青空文庫

伊兵衛にはそれができなかった。眼に見えなければいいけれども、少しでも、自分が誰かを押しのけ、誰かの邪魔になっている、ということがわかると、決してその席にとどまることができない。相手が気の毒になり済まなくなって、自分から身をひいてしまうのであった。

――良人には出世はできない、良人の性質が変らない限り、決して栄達は望めない。

おたよはこう信ずるようになった。

――けれども良人は、いつも誰かを幸福にしている、当然自分が占めるべき席、当然、自分が取ってよい物、それらをいつも他に譲ってしまう……これでよいのだ、良人には稀な能力がある、しかもその能力で、いつも誰かに幸福を分けている、これでよいのだ。

良人はいまでも、出世の機会を求めている、それはおたよのためである。おたよは九百五十石の準老職の家に生れ、苦労知らずに甘やかされて育った。そのおたよに貧乏させ、放浪の旅を続けさせることが、良人には耐えられないのである。他人の席を奪うことはできないが、妻には幸福を与えたい。この二つのあいだに挾まって、良人は絶えず悩んでいる、それがおたよにはよくわかっていた。

――わたくしこれで幸福です、これ以上のものは決して望んではいないのです。