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きりのばんしゃ

霧の蕃社

中村 地平

「文学界」1939(昭和14)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 28,389 字 · 57 页

青空文庫

「あいつを殺すかわりに自分が死ねばいいのだ」

ある晴れた日の午後、近藤は妻を郊外の海岸に誘った。心中する以外に方法は無いと思ったのである。

海岸に出ると、海はまるで鉄の鎖でもほぐすように、ガラガラ、ガラガラ無気味な音をたてて鳴り響いていた。有名な花蓮港の大浪が海底の小石をも運び、もて遊んでいる音である。海岸に坐ると、近藤は泣きながら妻に言った。

「頼む。俺といっしょに死んでくれ」

しかし、テワスにとっては心中は理解できないことであった。どうして死ななければならないのか、素朴なオプティミストにはどうしても呑みこめないのである。

無気味な、女とは思えない位強い力で夫の体を陸地にひきずり戻そう、とするばかりである。

「帰ろ、うちに帰ろ」

間もなく近藤は思いあきらめたように、ぐったりした視線を遠い海面に放ったままつぶやいた。

「死ぬのはやめだ。俺もこの辺りを散歩して間もなく家に帰る。お前だけ先に帰っておれ」

いやがるテワスを無理矢理に彼は家路をとらせた。

そして、そのまま消息を絶ってしまった。

近藤巡査が行方不明になったという奇怪な噂が町に流布された時、ある者は彼がどこかへ失踪したのではないか、と疑った。